茶道の茶箱
茶道(さどう)を習い始め(ならいはじめ)た頃(ころ)ですが、歩き方(あるきかた)や立ち上がり(たちあがり)方(かた)、物(もの)の持ち方(もちかた)まで決まり(きまり)ごとがあまりにも細かく(こまかく)て正直(しょうじき)戸惑い(とまどい)ました。順序(じゅんじょ)を右手(みぎて)・左手(ひだりて)など一生懸命(いっしょうけんめい)覚え(おぼえ)たし、和服(わふく)を着(き)て華やか(はなやか)にお茶会(おちゃかい)など出かけ(でかけ)られることが嬉しかっ(うれしかっ)た頃(ころ)も最初(さいしょ)はありました。その決まり事(きまりごと)の理由(りゆう)や由来(ゆらい)などを学ん(まなん)でいくうちに、日本独特(にほんどくとく)の四季(しき)の移り変わり(うつりかわり)などの美しさ(うつくしさ)、自然(しぜん)を愛でる(めでる)ように日本(にっぽん)の心(こころ)が生き(いき)ているという事(こと)に魅せ(みせ)られるようになりました。茶道(さどう)の稽古(けいこ)を長く(ながく)細く(ほそく)ですが続け(つづけ)ている私(わたし)ですが、日々(ひび)の生活(せいかつ)自体(じたい)は次第に(しだいに)洋風(ようふう)に変わっ(かわっ)て行っ(いっ)た様(さま)に思い(おもい)ます。世の中(よのなか)が便利(べんり)になったので生活(せいかつ)の中(なか)で感じ(かんじ)られた季節感(きせつかん)というものがどんどん無くなっ(なくなっ)て来(き)たように思い(おもい)ます。日増しに(ひましに)春(はる)の気配(けはい)が濃く(こく)なってきて、湯(ゆ)を湧かす(わかす)釜(かま)の火(ひ)も間もなく(まもなく)炉(ろ)から風炉(ふろ)に変わる(かわる)季節(きせつ)となってきました。茶道(さどう)に生きる(いきる)日本(にっぽん)の季節感(きせつかん)を、四季(しき)折々(おりおり)に、感じる(かんじる)ままに書い(かい)てみようと思い(とおもい)ます。お茶(おちゃ)を点てる(たてる)道具(どうぐ)には、箱(はこ)に入れて(いれて)持ち出す(もちだす)方法(ほうほう)もあります。それが、「茶箱(ちゃばこ)」という楽しい(たのしい)茶道具(ちゃどうぐ)です。箱(はこ)の中(なか)には、茶(ちゃ)を点てる(たてる)のに必要(ひつよう)な道具(どうぐ)一式(いっしき)がすべて収まっ(おさまっ)ています。くだけた雰囲気(ふんいき)の点前(てまえ)で、箱(はこ)のまま持ち出し(もちだし)て茶(ちゃ)を点てる(たてる)というようになっています。お稽古(おけいこ)で初めて(はじめて)この茶箱(ちゃばこ)を拝見(はいけん)したとき、雛(ひな)飾り(かざり)のような可愛(かわい)さを思わず(おもわず)思い出し(おもいだし)ました。おままごとのような、懐かしい(なつかしい)ような感じ(かんじ)を楽しめ(たのしめ)ました。この茶箱(ちゃばこ)を好んで(このんで)いる仲間(なかま)たちは、稽古場(けいこば)に茶箱(ちゃばこ)が出(で)てくると顔(かお)を見合わせ(みあわせ)たりして微笑ん(ほほえん)だりして、じつに和やか(なごやか)な雰囲気(ふんいき)の中(なか)で稽古(けいこ)を進める(すすめる)ことが出来(でき)ます。肩肘(かたひじ)張ら(はら)ずにお茶(おちゃ)をいただけたりする、くだけた感じ(かんじ)の略(りゃく)点前(てまえ)もお楽しみ(おたのしみ)ください。
茶道
茶道を習い始めた頃ですが、歩き方や立ち上がり方、物の持ち方まで決まりごとがあまりにも細かくて正直戸惑いました。
茶道