茶道お手前

茶道(さどう)の始め(はじめ)というものは、主人(しゅじん)が真心(まごころ)を尽くし(つくし)てお客様(おきゃくさま)をもてなすという事(こと)のみの事(こと)でしたが、時代(じだい)が進んで(すすんで)いくうちに、客(きゃく)と主人(しゅじん)の礼儀(れいぎ)作法(さほう)や、美味しい(おいしい)お茶(おちゃ)の点て(たて)方(かた)などが洗練(せんれん)されてきて、禅宗(ぜんしゅう)を広め(ひろめ)た栄西(えいさい)などが茶(ちゃ)種(だね)(抹茶(まっちゃ)等(など))をもたらしたことから禅宗(ぜんしゅう)の影響(えいきょう)を受け(うけ)、だんだんと精神(せいしん)修養(しゅうよう)の面(めん)が強く(つよく)なってきたように思え(おもえ)ます。【お手前(おてまえ)】茶道(さどう)の「おてまえ」は「お手前(おてまえ)」「お点前(おてまえ)」と書き(かき)ます。お茶(おちゃ)を点て(たて)たり、炉(ろ)に炭(すみ)をついだりする所作(しょさ)・作法(さほう)・様式(ようしき)のことを指し(さし)ていて、頻繁(ひんぱん)に使わ(つかわ)れる茶道(さどう)用語(ようご)の一つ(ひとつ)となっています。鎌倉時代(かまくらじだい)の初め頃(はじめごろ)から抹茶(まっちゃ)が飲まれる(のまれる)ようになってきました。その当時(とうじ)から客(きゃく)の目の前(めのまえ)で定め(さだめ)られた手順(てじゅん)で茶(ちゃ)を点てる(たてる)事(こと)という「お手前(おてまえ)」が行われる(おこなわれる)ようになっていたそうです。ですので、濃茶(こいちゃ)の場合(ばあい)や薄茶(うすちゃ)の場合(ばあい)などいくつもの種類(しゅるい)のお手前(おてまえ)があります。ちなみに「お手前(おてまえ)」の一種(いっしゅ)に茶(ちゃ)ではなく炉(ろ)に炭(すみ)をつぐことを炭手前(すみてまえ)と言います(いいます)。お稽古(おけいこ)方法(ほうほう)などは流派(りゅうは)や先生(せんせい)によって様々(さまざま)ですが、お手前(おてまえ)の手順(てじゅん)を書か(かか)ずに体(からだ)で覚える(おぼえる)べきだと指導(しどう)する先生(せんせい)もいるようです。手前(てまえ)をする人(ひと)の心(こころ)を純(じゅん)化(か)させ、利他(りた)の心(こころ)に至ら(いたら)せる手段(しゅだん)であると同時に(どうじに)、客(きゃく)に少し(すくなし)でもおいしい茶(ちゃ)を飲ん(のん)でもらうという目的(もくてき)ための技術(ぎじゅつ)であること、それが茶道(さどう)における「お手前(おてまえ)」の意義(いぎ)だそうです。手順(てじゅん)を覚える(おぼえる)だけでなく、事前(じぜん)準備(じゅんび)や心(こころ)など茶道(さどう)でしか感じ(かんじ)得(え)ない清涼感(せいりょうかん)をもたらすなど、一朝一夕(いっちょういっせき)ではお手前(おてまえ)は出来(でき)ないので、数(すう)年(ねん)かかる事(こと)が当たり前(あたりまえ)です。

茶道

茶道の始めというものは、主人が真心を尽くしてお客様をもてなすという事のみの事でしたが、時代が進んでいくうちに、客と主人の礼儀作法や、美味しいお茶の点て方などが洗練されてきて、禅宗を広めた栄西などが茶種(抹茶等)をもたらしたことから禅宗の影響を受け、だんだんと精神修養の面が強くなってきたように思えます。

茶道